2023年11月08日
旧田原街道 古道吉田宿~田原
田原街道 調べるうちに見つけたウエブサイト
八軒家風土記 番外編
関連ウエブサイト
田原街道
https://www.tabi.page/ikoi98/tahara/taharakaidou.html
上記ウエブサイトの古道 田原街道を辿る
東海道吉田宿の碑~柳生町
秋葉山常夜燈まで辿る
グーグルマップ
柳生町秋葉山常夜燈~老津神社
グーグルマップ
老津神社~田原町萱町
グーグルマップ
https://www.tabi.page/ikoi98/tahara/taharakaidou.html
より田原部分一部転載
田原城は、かつて海が城の周囲に入り込み入江を形成していたため、
その状況が巴文に似ていることから、巴江城とも呼ばれている。
(中略)
頂上部にはかって「船つなぎ松」があったという。
昔はこの辺まで海が入り込んでいて、
今も寺下通りの南側に東大浜、西大浜の地名が残る。
(中略)
清谷川を渡り車道を横切って三叉路を右にとって八軒家集落を通り抜けていく。
横焼板張りの長屋門が街道の風景に情緒を与えている。
この辺りは地名を西砦といい、永禄7年(1564)松平(後の徳川)家康が
田原城攻略のために加治砦を築かせた場所である。
隣接する取手の地名も同様であろう。
転載終了。
上記関連の 豊橋 十三本塚(とみもとづか)
【どうする家康】では描かれなかった、悲劇「十三本塚」
https://doncoyasuo.hatenablog.com/entry/2023/03/05/130751
田原町東大浜
グーグルマップ
田原町西大浜
グーグルマップ
田原町西大浜~東大浜
グーグルマップ
以前見た時はストリートビューなかったが、
ストリートビューカー通過したようです。
宇津江坂 古道
グーグルマップ
宇津江側 古道
グーグルマップ

八軒家風土記 番外編
関連ウエブサイト
田原街道
https://www.tabi.page/ikoi98/tahara/taharakaidou.html
上記ウエブサイトの古道 田原街道を辿る
東海道吉田宿の碑~柳生町
秋葉山常夜燈まで辿る
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柳生町秋葉山常夜燈~老津神社
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老津神社~田原町萱町
グーグルマップ
https://www.tabi.page/ikoi98/tahara/taharakaidou.html
より田原部分一部転載
田原城は、かつて海が城の周囲に入り込み入江を形成していたため、
その状況が巴文に似ていることから、巴江城とも呼ばれている。
(中略)
頂上部にはかって「船つなぎ松」があったという。
昔はこの辺まで海が入り込んでいて、
今も寺下通りの南側に東大浜、西大浜の地名が残る。
(中略)
清谷川を渡り車道を横切って三叉路を右にとって八軒家集落を通り抜けていく。
横焼板張りの長屋門が街道の風景に情緒を与えている。
この辺りは地名を西砦といい、永禄7年(1564)松平(後の徳川)家康が
田原城攻略のために加治砦を築かせた場所である。
隣接する取手の地名も同様であろう。
転載終了。
上記関連の 豊橋 十三本塚(とみもとづか)
【どうする家康】では描かれなかった、悲劇「十三本塚」
https://doncoyasuo.hatenablog.com/entry/2023/03/05/130751
田原町東大浜
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田原町西大浜
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田原町西大浜~東大浜
グーグルマップ
以前見た時はストリートビューなかったが、
ストリートビューカー通過したようです。
宇津江坂 古道
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宇津江側 古道
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2023年11月07日
八軒家町内 年表 八軒家風土記 NO.9 最終
八軒家風土記 NO.9
八軒家町内 年表 (一部のみ抜粋)
年度 出来事
昭和16年 7月 清谷川決壊・消防団警戒に当たる
17年 若者 次々に兵役に。戦死広報も入る。
18年 出征兵士・帰還兵士 見送り出迎え続く。
9月 防空演習始まる。
19年 12月7日 東南海地震発生。
20年 1月13日 三河地震発生。
余震を恐れ、屋外に仮小屋
建てて寝起き。
21年 集会所を二ノ丸現在地に移転。
28年 9月25日 13号台風襲来。
汐川堤防決壊。消防団仮止め、工事。
29年 旧田原町・神戸村・野田村・
及び杉山村六連 合併、田原町となる。
33年 田原町役場新庁舎 本町より南番場に移転。
34年 9月25日 伊勢湾台風 (15号台風)襲来。
37年 7月2日 集中豪雨 床上浸水 596戸。
38年 田原警察署 新町より加治東天神移転。
41年 10月12日 集中豪雨
多数の家屋床上浸水流出 死者1名。
44年 田原保健所 倉田より下八軒家に移転。
53年 仮称西部中学校編入に反対運動起こる。
12月 西部中学校問題で教育委員会総辞職
54年 再び教育委員会総辞職
55年 稲荷社隣地に青山病院建設話し持ち上がる。
57年 田原生コン跡にフタバ産業独身寮建設。
59年 「かにや」前の国道にどんどん地下道開通。
60年 衣笠小学校開校。
関連ウエブサイト
昭和東南海地震 - Wikipedia
三河地震で隆起した深溝断層 訪問記
http://naganokai.com/fukozu-dansou/
【1945年(昭和20年)1月13日は三河地震発生の日】
https://ameblo.jp/spostar1200/entry-11748954724.html
関連マップ
田原町二ノ丸
グーグルマップ
田原町役場移転
本町~南番場
グーグルマップ
保健所移転
田原町倉田~下八軒家
グーグルマップ
八軒家町内 年表 (一部のみ抜粋)
年度 出来事
昭和16年 7月 清谷川決壊・消防団警戒に当たる
17年 若者 次々に兵役に。戦死広報も入る。
18年 出征兵士・帰還兵士 見送り出迎え続く。
9月 防空演習始まる。
19年 12月7日 東南海地震発生。
20年 1月13日 三河地震発生。
余震を恐れ、屋外に仮小屋
建てて寝起き。
21年 集会所を二ノ丸現在地に移転。
28年 9月25日 13号台風襲来。
汐川堤防決壊。消防団仮止め、工事。
29年 旧田原町・神戸村・野田村・
及び杉山村六連 合併、田原町となる。
33年 田原町役場新庁舎 本町より南番場に移転。
34年 9月25日 伊勢湾台風 (15号台風)襲来。
37年 7月2日 集中豪雨 床上浸水 596戸。
38年 田原警察署 新町より加治東天神移転。
41年 10月12日 集中豪雨
多数の家屋床上浸水流出 死者1名。
44年 田原保健所 倉田より下八軒家に移転。
53年 仮称西部中学校編入に反対運動起こる。
12月 西部中学校問題で教育委員会総辞職
54年 再び教育委員会総辞職
55年 稲荷社隣地に青山病院建設話し持ち上がる。
57年 田原生コン跡にフタバ産業独身寮建設。
59年 「かにや」前の国道にどんどん地下道開通。
60年 衣笠小学校開校。
関連ウエブサイト
昭和東南海地震 - Wikipedia
三河地震で隆起した深溝断層 訪問記
http://naganokai.com/fukozu-dansou/
【1945年(昭和20年)1月13日は三河地震発生の日】
https://ameblo.jp/spostar1200/entry-11748954724.html
関連マップ
田原町二ノ丸
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田原町役場移転
本町~南番場
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保健所移転
田原町倉田~下八軒家
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2023年11月06日
現金屋呉服店 オータ 田原店 駐車場 八軒家風土記 NO.8
八軒家風土記 NO.8
現金屋呉服店
田原から奥郡に通じる
田原街道沿いにあった「現金屋」と言う
老舗の呉服店。総二階造りの
時代劇そっくりの店構え
奥の棚に反物が並べてあった。
現金屋は大家で、近くの家々は
現金屋の借家であった。
付近の土地も現金屋のものだった。
清谷橋以西の街道沿いに
観音坂の登り口付近まで
うどん屋・小料理屋・豆腐屋・
小間物屋・薬屋・車屋・
米屋・雑貨屋・タンス屋・
加治屋など
わずか100Mの間に
色々な商売屋が軒を連ねていた。
その賑わいも、県道
(旧国道259号線)の開通によって
人々の往来は急速に寂れ、
現金屋も店を閉じて、
他所へ引っ越した。他の商店も
転廃業したり、引っ越したりで
当時の面影はない。
現金屋は借家をはじめ
広大な土地も
全て売却処分して、
現金屋呉服店も新しい人が買い取って
暫く住んで居たが、この人もやがて
家を売って他所に引っ越し、
又別の人が住んだが、
この人も他所に引っ越し、
その後、総二階造りの家も
取り壊し、パチンコ店の駐車場となった。
元呉服店
オータ 田原店パチンコ店の駐車場
グーグルマップ
旧田原街道側
パチンコ店の駐車場
グーグルマップ
上空より
グーグルマップ
現金屋呉服店
田原から奥郡に通じる
田原街道沿いにあった「現金屋」と言う
老舗の呉服店。総二階造りの
時代劇そっくりの店構え
奥の棚に反物が並べてあった。
現金屋は大家で、近くの家々は
現金屋の借家であった。
付近の土地も現金屋のものだった。
清谷橋以西の街道沿いに
観音坂の登り口付近まで
うどん屋・小料理屋・豆腐屋・
小間物屋・薬屋・車屋・
米屋・雑貨屋・タンス屋・
加治屋など
わずか100Mの間に
色々な商売屋が軒を連ねていた。
その賑わいも、県道
(旧国道259号線)の開通によって
人々の往来は急速に寂れ、
現金屋も店を閉じて、
他所へ引っ越した。他の商店も
転廃業したり、引っ越したりで
当時の面影はない。
現金屋は借家をはじめ
広大な土地も
全て売却処分して、
現金屋呉服店も新しい人が買い取って
暫く住んで居たが、この人もやがて
家を売って他所に引っ越し、
又別の人が住んだが、
この人も他所に引っ越し、
その後、総二階造りの家も
取り壊し、パチンコ店の駐車場となった。
元呉服店
オータ 田原店パチンコ店の駐車場
グーグルマップ
旧田原街道側
パチンコ店の駐車場
グーグルマップ
上空より
グーグルマップ
2023年11月05日
観音坂と観音井戸 八軒家風土記 NO.7
八軒家風土記 NO.7
観音坂と観音井戸
旧田原街道の清谷橋渡ると
坂道に差し掛かる。
昔の人々は「観音坂」と呼び
田原街道最大の心臓破りの難所であった。
子ども時代に自転車に乗れるようになると、
坂を休まずに登りきる事が目標で、
無事登りきると、自分も一人前になったような
気で満足した。
この観音坂の上り口に井戸があり、
観音井戸と言った。
古老の話し
この辺一帯は慶雲寺の寺領であった。
昔、観音様を祀った祠があった。
その故から観音坂と言い観音井戸と呼んだ。
観音井戸は石積みの古い井戸で
石積みに苔が生え、草も生えた。
水量も変わらず冷たいきれいな水で
近隣の共同井戸であった。
月当番決めて,交替で井戸の周りの掃除をし、
毎年7月7日の七夕には「井戸替え」と言って
総出で井戸掃除をした。
この井戸は「つるべ井戸」で
竹の先に桶を括りつけて水をくみ上げた。
観音坂には他に2箇所
井戸があったが深井戸で「車井戸」であった。
時代の変化で共同井戸の存在価値もうすれ
すべて埋められ、その場所に
家が建っている。
関連ウエブサイト
つるべ井戸 | みどり市大間々博物館
関連マップ
清谷橋渡り続く坂道
グーグルマップ
慶雲寺
グーグルマップ
観音坂と観音井戸
旧田原街道の清谷橋渡ると
坂道に差し掛かる。
昔の人々は「観音坂」と呼び
田原街道最大の心臓破りの難所であった。
子ども時代に自転車に乗れるようになると、
坂を休まずに登りきる事が目標で、
無事登りきると、自分も一人前になったような
気で満足した。
この観音坂の上り口に井戸があり、
観音井戸と言った。
古老の話し
この辺一帯は慶雲寺の寺領であった。
昔、観音様を祀った祠があった。
その故から観音坂と言い観音井戸と呼んだ。
観音井戸は石積みの古い井戸で
石積みに苔が生え、草も生えた。
水量も変わらず冷たいきれいな水で
近隣の共同井戸であった。
月当番決めて,交替で井戸の周りの掃除をし、
毎年7月7日の七夕には「井戸替え」と言って
総出で井戸掃除をした。
この井戸は「つるべ井戸」で
竹の先に桶を括りつけて水をくみ上げた。
観音坂には他に2箇所
井戸があったが深井戸で「車井戸」であった。
時代の変化で共同井戸の存在価値もうすれ
すべて埋められ、その場所に
家が建っている。
関連ウエブサイト
つるべ井戸 | みどり市大間々博物館
関連マップ
清谷橋渡り続く坂道
グーグルマップ
慶雲寺
グーグルマップ
2023年11月04日
稲荷山遺跡 笹尾古窯群 栄巌古墳 田原市 八軒家風土記 NO.6
八軒家風土記 NO.6

八軒家全体絵図
昔の暮らしと遺跡
田原町史によれば、
この地域一帯は
弥生時代(2,500年前~1,800年前)に
人が住み、田原として最も古い時代に発達した地区。
八軒家近辺の遺跡
稲荷山遺跡
稲荷下の
杉本氏宅の東側に広がる
みかん畑から多数の土器片発見された。
これらの土器片は弥生時代中期~後期
約2,000年前のものと推定された。
この稲荷台地は、南向きの日当たりの良い
地方、貝殻の分布が全く無いので、
ここに住んで居た人達は、
水産物によらず、
農耕に依存した人々の
生活地域と考えられる。
笹尾古窯群
(ささおこようぐん)
稲荷社の南の八軒家コミュニティー広場に
なっている地に数多くの古窯の跡があった。
22基の古窯の跡が判明している地域であったが、
生コン工場の整地の為、破壊され、
道路工事で消滅したものも多い。
昭和63年八軒家コミュニティー広場の
土手で露出していた甕を
衣笠小学校児童が発見。
教育委員会で発掘。
甕に「田」の字が刻まれて
鑑定によれば、鎌倉時代
800年前のものと判明。
笹尾古窯群では 甕、壺、
茶碗、小皿など多く出土した。
栄巌古墳(えいがんこふん)
衣笠小学校の一隅にあり、
土地の人達は、鎌田の三ツ岩と
読んで居た。6世紀中ごろ、
今からおよそ1400年前の古墳。
現在裾が削り取られているが、
原型は直径25M。
何時の時か既に盗掘にあい、
昭和57年発掘調査では、
須恵器(すえき)・土師器(はじき)
出土した。
この古墳はこの地方の豪族の墓であった。
関連マップ
コミュニティー広場不明
稲荷神社
グーグルマップ
衣笠小学校
栄巌1号墳
グーグルマップ
八軒家全体絵図
昔の暮らしと遺跡
田原町史によれば、
この地域一帯は
弥生時代(2,500年前~1,800年前)に
人が住み、田原として最も古い時代に発達した地区。
八軒家近辺の遺跡
稲荷山遺跡
稲荷下の
杉本氏宅の東側に広がる
みかん畑から多数の土器片発見された。
これらの土器片は弥生時代中期~後期
約2,000年前のものと推定された。
この稲荷台地は、南向きの日当たりの良い
地方、貝殻の分布が全く無いので、
ここに住んで居た人達は、
水産物によらず、
農耕に依存した人々の
生活地域と考えられる。
笹尾古窯群
(ささおこようぐん)
稲荷社の南の八軒家コミュニティー広場に
なっている地に数多くの古窯の跡があった。
22基の古窯の跡が判明している地域であったが、
生コン工場の整地の為、破壊され、
道路工事で消滅したものも多い。
昭和63年八軒家コミュニティー広場の
土手で露出していた甕を
衣笠小学校児童が発見。
教育委員会で発掘。
甕に「田」の字が刻まれて
鑑定によれば、鎌倉時代
800年前のものと判明。
笹尾古窯群では 甕、壺、
茶碗、小皿など多く出土した。
栄巌古墳(えいがんこふん)
衣笠小学校の一隅にあり、
土地の人達は、鎌田の三ツ岩と
読んで居た。6世紀中ごろ、
今からおよそ1400年前の古墳。
現在裾が削り取られているが、
原型は直径25M。
何時の時か既に盗掘にあい、
昭和57年発掘調査では、
須恵器(すえき)・土師器(はじき)
出土した。
この古墳はこの地方の豪族の墓であった。
関連マップ
コミュニティー広場不明
稲荷神社
グーグルマップ
衣笠小学校
栄巌1号墳
グーグルマップ
2023年11月03日
田原市柳町 田原街道観音坂 八軒家風土記 NO.5
八軒家風土記 NO.5
交通の移り変わり NO.4
文化五年(1808)
田原藩家中住宅図によると、
船倉橋出来てから、
亀井戸?から船倉橋まで土手堤が続き
柳の木が植えてあった。
これが通称「柳町」の町名が
出来たと思われる。
亀井戸?~萱町~
本町~新町~
竜門寺坂?を下り、
清谷橋渡り
~八軒家 通り
福江街道に通じて行く。
上記
関連マップ
田原町柳町
グーグルマップ
旧道 常夜燈
グーグルマップ
田原街道
グーグルマップ
この様にして人々は、
田原街道往来したが、
八軒家部落通る道路は、
通称 観音坂として
街道の難所であったが
観音坂の上り口を
中心に多くの商家が
軒を連ね、
商店通りを形成
賑わった。
昭和2年頃、現県道
(旧国道259号線)の開通により、
商店街の機能は急激に薄れ、
往来はさびれていった。
交通の移り変わり NO.4
文化五年(1808)
田原藩家中住宅図によると、
船倉橋出来てから、
亀井戸?から船倉橋まで土手堤が続き
柳の木が植えてあった。
これが通称「柳町」の町名が
出来たと思われる。
亀井戸?~萱町~
本町~新町~
竜門寺坂?を下り、
清谷橋渡り
~八軒家 通り
福江街道に通じて行く。
上記
関連マップ
田原町柳町
グーグルマップ
旧道 常夜燈
グーグルマップ
田原街道
グーグルマップ
この様にして人々は、
田原街道往来したが、
八軒家部落通る道路は、
通称 観音坂として
街道の難所であったが
観音坂の上り口を
中心に多くの商家が
軒を連ね、
商店通りを形成
賑わった。
昭和2年頃、現県道
(旧国道259号線)の開通により、
商店街の機能は急激に薄れ、
往来はさびれていった。
タグ :柳町 田原街道観音坂田原市柳町
2023年11月02日
田原街道古道 東口 田原船倉橋 八軒家風土記 NO.4
八軒家風土記 NO.4
交通の移り変わり NO.3
現在の入口が東になったのは
船倉橋が出来てからで、
船倉橋は
寛永十年(1670)に架けられた。
船倉橋を渡り、汐川の堤防を通って、
安原埼を経て梅硲(うめは)を横切り、
岩ノ根の今田橋に出る。
これが田原街道 東口の初めての古道である。
以下グーグルマップ分割
安原埼の地名、古道不明の為、県道397号にて
上記関連マップ
グーグルマップ
相川橋~谷熊町松ノ本~
谷熊町岩前~杉山町神吉
上記マップから続いて 杉山町神吉下まで
グーグルマップ②
その後、時間の経過で
変わって来てからの街道は、
西川?~豊島町道南~
豊島町清吾~豊島町北新切~
豊島町梅硲(うめは)~今田橋に通じた。
後の国道259号線となる。
グーグルマップ③
交通の移り変わり NO.3
現在の入口が東になったのは
船倉橋が出来てからで、
船倉橋は
寛永十年(1670)に架けられた。
船倉橋を渡り、汐川の堤防を通って、
安原埼を経て梅硲(うめは)を横切り、
岩ノ根の今田橋に出る。
これが田原街道 東口の初めての古道である。
以下グーグルマップ分割
安原埼の地名、古道不明の為、県道397号にて
上記関連マップ
グーグルマップ
相川橋~谷熊町松ノ本~
谷熊町岩前~杉山町神吉
上記マップから続いて 杉山町神吉下まで
グーグルマップ②
その後、時間の経過で
変わって来てからの街道は、
西川?~豊島町道南~
豊島町清吾~豊島町北新切~
豊島町梅硲(うめは)~今田橋に通じた。
後の国道259号線となる。
グーグルマップ③
2023年11月01日
八軒家風土記 NO.3 田原の入口 西へ迂回ルート
八軒家風土記 NO.3
交通の移り変わり NO.2
神戸は吉田 田原間の要地であった。
吉田~大崎~老津太平寺~
杉山町河内~殿村~
久古~神吉~
谷熊町森山~豊島町 院内~
相川町数原(現田原市立東部中 南東)
以下グーグルマップ分割(最大10カ所まで)
途中まで
グーグルマップ①
相川町数原~
神戸町 市場~神戸町郷原~
神戸町池下橋~西神戸町岡西~
赤松~西神戸町 新美~加治~
稲荷下~八軒家
グーグルマップ②
八軒家~東馬洗~田原町二ツ坂~
十七谷~ 田原の町に入る
当時の田原の入口は東からでなく、
西へ迂回して入った。
グーグルマップ③
追加
戦国時代には今川・徳川勢共に
志田橋から舟で、新実側に渡ったようですが
いつ地続きになったか?
以前の大草歴史にて
関連ウエブサイト
2023年09月16日
汐川 志田橋 大草歴史 NO.8 新美 潮海山
https://hatake2.dosugoi.net/e1284102.html
交通の移り変わり NO.2
神戸は吉田 田原間の要地であった。
吉田~大崎~老津太平寺~
杉山町河内~殿村~
久古~神吉~
谷熊町森山~豊島町 院内~
相川町数原(現田原市立東部中 南東)
以下グーグルマップ分割(最大10カ所まで)
途中まで
グーグルマップ①
相川町数原~
神戸町 市場~神戸町郷原~
神戸町池下橋~西神戸町岡西~
赤松~西神戸町 新美~加治~
稲荷下~八軒家
グーグルマップ②
八軒家~東馬洗~田原町二ツ坂~
十七谷~ 田原の町に入る
当時の田原の入口は東からでなく、
西へ迂回して入った。
グーグルマップ③
追加
戦国時代には今川・徳川勢共に
志田橋から舟で、新実側に渡ったようですが
いつ地続きになったか?
以前の大草歴史にて
関連ウエブサイト
2023年09月16日
汐川 志田橋 大草歴史 NO.8 新美 潮海山
https://hatake2.dosugoi.net/e1284102.html
2023年10月31日
八軒家風土記 NO.2 田原主要道路 吉田福江街道
八軒家風土記 NO.2
交通の移り変わり
田原町史によると
田原の主要道路
ごく古い時代、
田原の部落が蔵王山下にあり
寺町があった時代、
西に通じる道は、
田原町東馬洗~北乗鞍~
東栄巌~南乗鞍~東笹尾~
北恩中の北部~中恩中~
大久保
の道であった。
上記関連マップ
(現在無い地図表記もある)
グーグルマップ
田原の町が東南に広がるに従って、
新幹線道路は
新町より旧警察署 ?
(廃院した渡医院)跡の前を通り
坂下に出て、清谷橋渡り
二ノ丸の下を通り、
東天神で旧 国道259号に
沿って、大荒子で合体。
江戸時代において、吉田(豊橋)より
田原を通り伊良湖に至る街道は
(吉田福江街道又は田原街道)
渥美半島の最重要街道であった。
上記関連マップ
グーグルマップ
交通の移り変わり
田原町史によると
田原の主要道路
ごく古い時代、
田原の部落が蔵王山下にあり
寺町があった時代、
西に通じる道は、
田原町東馬洗~北乗鞍~
東栄巌~南乗鞍~東笹尾~
北恩中の北部~中恩中~
大久保
の道であった。
上記関連マップ
(現在無い地図表記もある)
グーグルマップ
田原の町が東南に広がるに従って、
新幹線道路は
新町より旧警察署 ?
(廃院した渡医院)跡の前を通り
坂下に出て、清谷橋渡り
二ノ丸の下を通り、
東天神で旧 国道259号に
沿って、大荒子で合体。
江戸時代において、吉田(豊橋)より
田原を通り伊良湖に至る街道は
(吉田福江街道又は田原街道)
渥美半島の最重要街道であった。
上記関連マップ
グーグルマップ
2023年10月30日
八軒家風土記 NO.1
図書館で見つけた八軒家関係の書籍
八軒家風土記 NO.1
八軒家の今と昔
八軒家は
清谷橋以西の旧田原海道沿い(古道)と
旧国道259号の衣笠橋より
西の沿線一帯と
稲荷山麓一帯の三集落。
弥生時代の稲荷山遺跡が発見されている。
笹尾古窯群、鎌倉時代の窯跡22基あった。
八軒家地区は約250世帯・850名居住
(平成3年)
稲荷山より南方
加治地区と隣接し
汐川流域に広がる田園地帯で
田原の穀倉地帯であったが、
現在(平成3年)は、
赤石地区大規模造成開発事業
進行中。
関連ウエブサイト
平常展 渥美古窯と現代陶磁
https://www.taharamuseum.gr.jp/exhibition/2012/ex120602/index2.html
より一部転載
笹尾古窯(田原町)
笹尾古窯は、清谷川と稲荷山にはさまれた笹尾谷に22基の窯があり、
そのうちの1基(15号窯)が発掘調査されています。
出土遺物には、輪花のある山茶碗、小皿、片口碗、
片口鉢、甕、広口瓶、子持器台がありました。
転載終了。
八軒家風土記 NO.1
八軒家の今と昔
八軒家は
清谷橋以西の旧田原海道沿い(古道)と
旧国道259号の衣笠橋より
西の沿線一帯と
稲荷山麓一帯の三集落。
弥生時代の稲荷山遺跡が発見されている。
笹尾古窯群、鎌倉時代の窯跡22基あった。
八軒家地区は約250世帯・850名居住
(平成3年)
稲荷山より南方
加治地区と隣接し
汐川流域に広がる田園地帯で
田原の穀倉地帯であったが、
現在(平成3年)は、
赤石地区大規模造成開発事業
進行中。
関連ウエブサイト
平常展 渥美古窯と現代陶磁
https://www.taharamuseum.gr.jp/exhibition/2012/ex120602/index2.html
より一部転載
笹尾古窯(田原町)
笹尾古窯は、清谷川と稲荷山にはさまれた笹尾谷に22基の窯があり、
そのうちの1基(15号窯)が発掘調査されています。
出土遺物には、輪花のある山茶碗、小皿、片口碗、
片口鉢、甕、広口瓶、子持器台がありました。
転載終了。