2021年09月12日
近代につくられた被差別部落 呉市山手
被差別部落の真実
近代につくられた被差別部落
呉市の場合
軍事都市建設の中で被差別部落がつくられた。
9つの村に600人余りの賤民身分の人々がいた。
1886年呉市に海軍鎮守府の建設始まった。
建設用地は人口1万5千人のいくつかの村。
人口の増加。
1日当たり8千人~1万3千人の労働者が動員された。
1902年 6万6千人→1936年 20万人→
1944年 41万人→戦争末期1945年 44万人以上。
西日本一の軍用都市へと変貌、大量の人口移動
新しい被差別部落が形成された。
新しい被差別部落が出来たのは1906年頃。
包帯工場建設、海軍納入用屠畜場、海軍刑務所
造られる過程で、被差別部落がつくられた。
呉市が選ばれたのは、工業用水、飲料水に利があった。
新しい被差別部落に移住してきた人のほとんどは、
元は被差別部落民ではなかった。九州から来た人や
広島県内から来た人については判っているが、
その他については判っていない。
呉市ではこれ以外に、明治以降、近代になって
形成された、複数の被差別部落が確認されている。
逆に消滅したケースもある。
更に1945年の空襲によって、全滅したことがある。
関連動画
部落探訪動画削除済
関連ウエブサイト
広島県 - 同和地区Wiki
https://archive.is/S2pJu#selection-1539.0-1539.5
富国 強 兵 とひろしま
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/129735.pdf
学術・研究:部落探訪(134) 広島県呉市山手2丁目
https://jigensha.info/2019/06/24/buraku-134/
Posted by たんぼ at 08:00
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