2023年09月07日
大草糠塚長者屋敷 汐川 平安時代 NO.2
糠塚長者屋敷 NO.2
昔の様子
〇汐川、大日川の両面に面し、広大な雑木林の一角に
館の跡と思われる平地、土塁、庭の池
築山、井戸などが見られた。
大日川沿いに舟溜まりのような
深い淀みがあり、そこだけ入り込んでいた。
(今も川が蛇行している)
〇田原湾が志田橋、新美あたりまで入り込んでいて、
満潮時に汐川を舟で大草辺りまで物資を運搬出来た。
そこから奥地へ担いだりして荷物を運搬していた。
(現在の国道42号も259号もなかった、
大草、高松、芦村、八王子、山田が主要道路だった)
〇大草糠塚は奥郡(おくごおり)への主要道路の重要地点であった。
〇今の高松並木や県道大草団地バス停留所
汐川中田橋ある辺りは湿地、沼地で人々は入り込めない地形だった。
〇汐川本流から大日川へ入り、少し上がった辺りに入江のような
深みがあり、船着き場のようで荷揚げした場所らしい地点がある。
関連ウエブサイト
汐川 - Wikipedia
愛知県田原市の汐川について、何でもいいので教えてください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1439083284
地元住民でないので一部推定
高松並木・県道大草団地バス停~汐川中田橋
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950年平安時代の田原湾西端
新美・志田橋辺りまで
グーグルマップ
満潮時舟で運搬出来た
新美・志田橋~大草
グーグルマップ
大草から西の陸路
グーグルマップ
Posted by たんぼ at 07:00
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