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たんぼ
たんぼ
2006年~2015年 
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昭和30年代生
独居







2023年10月13日

田原市 ノリの養殖 童浦歴史 NO.3

童浦のあゆみNO.3
ノリの養殖
明治41年(1908)頃
豊橋市前芝町・牟呂町で始まった
ノリの養殖は昭和の初め頃
童浦地区でも始められ、
埋め立ての始まる昭和42年まで
アサリと共に収入源であった。
ノリは各地に出荷され、浅草ノリとしても
売られていた。
養殖場所は舟で行き場所は入札で決めた。
ここまで

関連ウエブサイト
愛知の水産史-ノリ養殖の沿革-
井野川仲男
https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/208463.pdf
より転載
愛知県のノリ養殖は,安政年間(1854~’60)に
宝飯郡前芝村(現豊橋市)で始まった。
当時の養殖方法は,天然採苗, (ひび)建て養殖であったが,
種 の移植によって県内各地に広まっていった。
戦後(1945 年~),沿岸漁業構造改善事業や水産業改
良普及事業によって底びき網漁業からノリ養殖業へ転換
誘導が進められる中,水平 ,人工種苗生産,浮流し養
殖,冷蔵網の技術開発と普及で生産の安定と増大が図られた。

昭和 40,41 年(1965,’66 年)の大凶作では,
過密養殖が原因とされたため,
各地に設置されたノリ生産安定
対策協議会で適正な漁場利用が図られ,
過密養殖対策が確立したので,
それ以降,極端な凶作年はなくなった。
昭和 50 年代には全自動ノリ製造機の普及も相まって,
過剰生産・生産調整の時代を迎えることとなった。
一方,名古屋港,衣浦港,三河港の港湾整備事業や
臨海工業用地造成事業に伴い,
優良なノリ養殖漁場となっていた浅海干潟の多くが失われたが,
昭和年間までは,生産者の減少を生産性の向上で補い,
年間 10 億枚,100億円の生産を維持してきた。

平成に入ると(1989 年~),価格の低迷を始め,
中部国際空港建設事業に伴う漁業補償,
三河港域内の解散予定組合の解散,10 年(1998 年)
以降顕在化した温暖化の影響等により転廃業が進み,
最近では 3 億枚,30 億円まで生産が減少している。
転載終了。

海苔の歴史|海苔の基礎講座|海苔JAPAN(のりジャパン)
https://www.nori-japan.com/lecture/history/



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Posted by たんぼ at 07:00
童浦歴史