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2024年10月22日

田原新町田原警察 昭和13年生まれ

田原新町にあった田原警察
田原新町 昭和13年生まれ
山田哲夫

田原に初めて警察署が置かれたのは
明治9年(1876)12月で、
豊橋警察第四方面第一分署と呼ばれた。
翌10年2月に豊橋警察田原分署と
改称された。
この分署の建物は、当初船倉橋に程近い
田原町柳町17番地にあった。
その後、明治43年(1910)4月
田原分署を田原町新町65番地に
新築移転され、
(現 うかい葬祭和みホール)
さらに大正11年(1922)1月に
昇格して 田原警察署になった。

新町にあった田原警察署は
チョコレート色の、どっしりとした重厚感のある
2階建てで高さ1Mぐらいの
石組みの基礎の上に建てられていた。
左右に張り出した署屋の
向かって左側に玄関があった。
玄関脇に高い火の見櫓のような鉄塔が
立っていて、戦時中には、
そこから空襲警報発令の
サイレンが幾度となく町内に鳴り響いた。
警察署の前の道路に、
戦時中 防空壕があって、
時々そこに避難した。
ある日、急に空襲警報が鳴って
そこに走り込んだ。
入口で日本の戦闘機が
龍門寺の藪の上を
火炎と黒煙噴きながら
北から南の方向に
落ちて行くのが見えた。
後で知ったのは、神戸のあたりに
墜落したのは、遠藤大尉等2名が
搭乗していた戦闘機だった。
戦後はこの警察署の前に
進駐軍のジープが時々やってきた。
恐る恐る遠巻きに見ていると
手招きされてチューインガムをくれたりした。
この建物の横に戦後の一時期
自治警察と呼ばれる建物も急造された。
これは昭和23年(1948)に
新しい警察法が施行され、
警察が「国家地方警察愛知県渥美地区警察署」と
「田原町警察署(自治警察)」の2つに
分かれたことによるものであった。
昭和29年(1954)にこれも廃止となり、
新警察法により_「愛知県田原警察署」
となった。
この自治警察がなくなる頃までは、
警察前道路は自転車なども
あまり通ることもなかった。
キャッチボール・メンコも竹馬も縄跳びも
暗くなるまで遊んでいたが、
注意を受けることもなかった。
昭和38年(1963)4月
田原署は現在の地、加治東天神812へ
移転となり、取り壊された。
以上。
田原新町田原警察 昭和13年生まれ



明治9年初代警察署
豊橋警察田原分署 跡地
田原町柳町17番地
グーグルマップ


明治時代以降3か所の警察署の場所
跡地含む
グーグルマップ





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Posted by たんぼ at 07:30
渥美半島の戦後