2024年11月04日
田原萱町 昭和17年生
思い出の田原
田原萱町 昭和17年生
小久保さん
私は昭和17年名古屋で生まれ、20年に
和地町に疎開した。
昭和22年頃田原萱町に引っ越した。
田原では田原中部小学校に通い、
探検と称して、町中を散策した。
小野田セメントのトロッコは、
お城の裏を通って田んぼの中を真っすぐ
小野田セメントの方向に走っていた。
汐川まで線路を歩いたこともあった。
三河田原駅に行くと、貨物列車を
見る事が出来、駅前にには
小さな薪が干してあり、
木炭バスの燃料にされていた。
汐川の船倉橋の常夜灯の近くに
係船堀(もやいづな)があり、
機帆船等の色々な船が係留されていた。
汐川はこれらの舟が行き来する
大切な水路だった。
以上。
小野田セメント
関連以前の記事
2023年10月25日
小野田セメント田原工場 田原市 童浦歴史NO15
https://hatake2.dosugoi.net/e1288862.html

田原萱町 昭和17年生
小久保さん
私は昭和17年名古屋で生まれ、20年に
和地町に疎開した。
昭和22年頃田原萱町に引っ越した。
田原では田原中部小学校に通い、
探検と称して、町中を散策した。
小野田セメントのトロッコは、
お城の裏を通って田んぼの中を真っすぐ
小野田セメントの方向に走っていた。
汐川まで線路を歩いたこともあった。
三河田原駅に行くと、貨物列車を
見る事が出来、駅前にには
小さな薪が干してあり、
木炭バスの燃料にされていた。
汐川の船倉橋の常夜灯の近くに
係船堀(もやいづな)があり、
機帆船等の色々な船が係留されていた。
汐川はこれらの舟が行き来する
大切な水路だった。
以上。
小野田セメント
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2023年10月25日
小野田セメント田原工場 田原市 童浦歴史NO15
https://hatake2.dosugoi.net/e1288862.html
Posted by たんぼ at 07:00
│渥美半島の戦後
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