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たんぼ
たんぼ
2006年~2015年 
酵素風呂店運営

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昭和30年代生
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2023年08月13日

善光寺詣 絵馬奉納 野田歴史 NO.25

善光寺詣で絵馬奉納

平成三年春、
長野善光寺発行の記念誌、
「善光寺絵馬」に
「三度如来來迎し給う事」がのっている。
高さ70cm 幅104cmで
奉納文と参詣者五人が描かれている。
あらすじは、天保十四年(1843)
四月野田村より、参詣の道すがら、
二十四日夕 平谷宿みとや
左源太方に泊まりし夜、
如来の御来迎を拝み、
同二十七日宮田宿
浅ヤ八左衛門方で、
再び、御来迎をおがみ
旅のうさを忘れる。
五月三日如来の御堂に
参詣した夜も
御来迎を拝み、
あまりのありがたさのまま、
諸人けちえんのため、
この絵馬をおさめる。である。
二十四日平谷宿
二十七日宮田宿
五月三日長野善光寺
奉納文ではっきりしているのは
この三つのみだが、
善光寺参詣旅日記は次のようだった。

時は天保十四年四月十八日早朝、
鵜飼金五郎母ちさ六十五歳、
鵜飼増次郎母やす五十歳。
藤井徳四郎妻いと四十歳代、
鵜飼又吉四十歳、
鵜飼甚十郎四十歳少し前、であった。
善光寺詣では金五郎母、
ちさの若い頃からの夢で、
息子又吉と、自分の身内三人の
五人の参詣となり、
吉田を一日目の宿とする。
一日およそ二十五キロ前後の道程である。
翌日からは別所街道を通って
鳳来を経由し、伊奈街道をのぼって
平谷宿にいたる。
野田よりこの平谷宿までおよそ138キロ
六日をかけて二十四日
みとや左源太方のに止宿した。
この夜一度目の御来迎を拝む。
平谷宿から宮田宿までおよそ80キロ、
三州街道(飯田街道)を浪合、
阿智とゆき「中関からすの湯」に宿をとる。
二十六日は飯田の善光寺を拝して
天竜川を眼下に見るやまぶきに止宿する。
三州街道駒ケ根を通り宮田宿、
浅ヤ八左衛門方で、
二度目の御来迎を拝す。
宮田宿からは三州街道で松本までゆき、
西海道をのぼって、長野善光寺に着いた。
宮田より善光寺まで六日、
野田をたって十五日目となる。
五月三日長野善光寺本堂にお籠りして、
三度目の御来迎を拝み、
あまりのありがたさに
諸人結縁のため絵馬を奉納したのであった。
この絵馬の解説に、善光寺如来の御出現を
拝することは古来多く伝えられているが、
それは夢の中か、臨終にかの一度で
このように三たび如来を拝した例は少ない。

五人の子この後はどうであったであろうかとある。
「金五郎一家日常留」に
善光寺詣りや西国参り、
京参りなどが記されている。

安永六年(1777)、
北、甚八、母、
大久保のつれと西国参り。
安永八年(1779)、
善光寺参りに立つ、
十一人、二十二日帰る。
安永九年(1780)
五月二十六日、
お中、市の親父様と有馬の湯にゆく。
十一月二日、
信州善光寺様
吉田神宮寺にて御開帳、繁盛す、
天明五年(1785)
二月二十日、善光寺参り、
北、おその、おため、
西、浅右衛門、内儀。
弥右エ門嫁。
三月二十八日より
四月十日、信州、
善光寺様御開帳ありなどがあった。
「一家日常留」は
安永六年より、文化十年までの記録で
この絵馬の主人公、おちささんは、
文化十年 三十五歳だった。
善光寺元禄本などで語られるのが、
女人往生信仰で、一生に一度詣でるのが、
女の人の夢であった。
鵜飼一族は裕福でおよそ
一か月もかかる善光寺参詣を
世代をかけて行っていた。

関連動画
一度は行っとけ善光寺【長野県観光スポット】
https://www.youtube.com/watch?v=4DjIga1N8RA

関連ウエブサイト
善光寺 - Wikipedia

善光寺が女人救済・女人往生の寺として有名な理由は|善光寺参り
https://zenkozi.com/about/women.html

善光寺参りの歌、なぜ一生に一度は行きたいのか、
牛に引かれて善光寺参りの由来とは
https://pinkdrop.net/archives/2415

善光寺へと続く巡礼の道「善光寺街道」を歩いて詣でてみませんか?
https://yamahack.com/5273

中関からすの湯(長野県下伊那郡阿智村)
https://www.onsenguide.org/nagano/onsen/nakasekikarasunoyu

関連マップ
徒歩 67 時間(319 km)
田原市野田町~長野善光寺
グーグルマップ











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Posted by たんぼ at 10:00
野田史