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たんぼ
たんぼ
2006年~2015年 
酵素風呂店運営

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昭和30年代生
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2023年12月23日

越戸村 大山灯台 渥美町歴史 NO.39

渥美半島は海の難所で多くの船が難破し、
地元の有志によって
明治16年から5か年
寄付金によって私設灯台が建てられた。
明治16年 
発起人 和地村3名・越戸村2名
連名主意書に
(明治5年以来、覆没した船
40艘ある。)
灯台は、木造六角形白色、
基礎から灯火まで5.1M
水面から約24.5M。
光は晴天の夜で8里24キロ届いた。
位置は計画変更して
越戸西方のほうべになった。
越戸西のはずれのHさんの
ご先祖か灯台守をしていた。

関連ウエブサイト
明治の海図に幻の「大山灯台」 田原の海保海上交通センター所長が発見
https://www.chunichi.co.jp/article/426707

歴史探訪クラブ 大山灯台 其の156 - 田原市博物館
https://www.taharamuseum.gr.jp/info/hic/pdf/hic_156.pdf

越戸町 (田原市) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E6%88%B8%E7%94%BA_(%E7%94%B0%E5%8E%9F%E5%B8%82)
より転載
越戸町(おっとちょう)は、愛知県田原市の地名。19の小字が設置されている。
地理
旧赤羽根町西端部に位置する。東は若見町、南は太平洋に接する。
太平洋に面することから、渥美半島において一番温暖な集落であるとされる。
かつては半農半漁村であったが、その気候を生かした
電照菊およびメロン、花卉栽培が盛んに行われるようになったために、その多くが転換した。
山岳
大山
越戸町はこの山の南麓にあたる。
南斜面は約30ヘクタールの原生林が残り、周辺唯一の常緑広葉樹林が広がっている。
沿革
江戸時代 - 三河国渥美郡田原藩領の越戸村として所在。
1873年(明治6年) - 見海寺において越戸学校を設立。
1883年(明治16年) - 大山下海岸に灯台を開設。
1889年(明治22年) - 合併に伴い、若戸村大字越戸となる。
1906年(明治39年) - 合併に伴い、赤羽根村大字越戸となる。
1946年(昭和21年) - 大山無線中継所が設置される。
1958年(昭和33年) - 町制施行に伴い、赤羽根町大字越戸となる。

世帯数と人口
2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
町丁世帯数人口
越戸町119世帯393人
転載終了。

関連マップ
越戸西方 海岸 
グーグルマップ

灯台のあったおおよそ
推定位置
グーグルマップ


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Posted by たんぼ at 07:00
渥美町 歴史