2023年12月25日
中山村 打瀬網問題 渥美町歴史NO.40
明治23年
中山村に県漁業組合郡事務所
豊橋西八町より移転
63か条の規約
明治23年頃は
打瀬網問題が発生。
江戸時代中頃より
尾張藩が亀崎(半田市)だけ
許していた漁法 ウタセ網が、
明治に入って
特に愛知県で急増した。
「漁場が荒らされる」
「稚魚まで取られる」と言う声が
三重県より上がり、
明治19年愛知、三重、静岡
3県協議によりウタセ網は
明治22年3月限りで禁止に決まった。
猶予期間にも増加し、禁止令を
2年延期、
地引網を主体にしていた
渥美半島表浜の漁民の怒りが爆発、
ぐんぐん減少する地引網の漁獲
ウタセ網禁止の延期
明治25年2月
むしろ旗に竹槍持った漁民数百人
渥美郡役所におしかけ
郡長に面会要求、
机ひっくり返し、ガラス戸壊す
騒ぎになった。
ついに警察・憲兵隊
出動し、逮捕者209名。
関連ウエブサイト
打瀬網漁 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E7%80%AC%E7%B6%B2%E6%BC%81
より転載
打瀬網漁(うたせあみりょう)とは、漁船に1枚または
複数の風帆などを船体に対して平行に張り、
風や潮流の力で船を横に滑らせながら
水底や水中に入れた網を引いて
魚介類を漁獲する日本独得の漁法のことである。
概要
打瀬網漁は、引網漁もしくは繰網類[の一種であり、
江戸時代中期に若狭湾や大阪湾で「手繰網」から生まれ、
主に江戸末期から明治にかけて、
その中のひとつである「帆打瀬」が、瀬戸内海や
大阪湾、三河湾、伊勢湾から全国へ新しい能率漁法として広まった。
他の漁法との摩擦
漁船に動力機関(エンジン)が普及していない明治期では、
従来からある蛸壺、延縄、巻網(揚繰網)や
地曳網などの漁種にとって大きな脅威となった。
そのため、愛知県では、明治3年から操業の
排撃などの紛争が起き始め、
明治25年には反対漁民による地方行政機関への乱入、
警官隊との衝突といった「三州打瀬網騒動」の事件が起きた。
転載終了。
打瀬網漁|地域|NHKアーカイブス
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004990467_00000
中山村に県漁業組合郡事務所
豊橋西八町より移転
63か条の規約
明治23年頃は
打瀬網問題が発生。
江戸時代中頃より
尾張藩が亀崎(半田市)だけ
許していた漁法 ウタセ網が、
明治に入って
特に愛知県で急増した。
「漁場が荒らされる」
「稚魚まで取られる」と言う声が
三重県より上がり、
明治19年愛知、三重、静岡
3県協議によりウタセ網は
明治22年3月限りで禁止に決まった。
猶予期間にも増加し、禁止令を
2年延期、
地引網を主体にしていた
渥美半島表浜の漁民の怒りが爆発、
ぐんぐん減少する地引網の漁獲
ウタセ網禁止の延期
明治25年2月
むしろ旗に竹槍持った漁民数百人
渥美郡役所におしかけ
郡長に面会要求、
机ひっくり返し、ガラス戸壊す
騒ぎになった。
ついに警察・憲兵隊
出動し、逮捕者209名。
関連ウエブサイト
打瀬網漁 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E7%80%AC%E7%B6%B2%E6%BC%81
より転載
打瀬網漁(うたせあみりょう)とは、漁船に1枚または
複数の風帆などを船体に対して平行に張り、
風や潮流の力で船を横に滑らせながら
水底や水中に入れた網を引いて
魚介類を漁獲する日本独得の漁法のことである。
概要
打瀬網漁は、引網漁もしくは繰網類[の一種であり、
江戸時代中期に若狭湾や大阪湾で「手繰網」から生まれ、
主に江戸末期から明治にかけて、
その中のひとつである「帆打瀬」が、瀬戸内海や
大阪湾、三河湾、伊勢湾から全国へ新しい能率漁法として広まった。
他の漁法との摩擦
漁船に動力機関(エンジン)が普及していない明治期では、
従来からある蛸壺、延縄、巻網(揚繰網)や
地曳網などの漁種にとって大きな脅威となった。
そのため、愛知県では、明治3年から操業の
排撃などの紛争が起き始め、
明治25年には反対漁民による地方行政機関への乱入、
警官隊との衝突といった「三州打瀬網騒動」の事件が起きた。
転載終了。
打瀬網漁|地域|NHKアーカイブス
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004990467_00000
Posted by たんぼ at 07:30
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